Day2 am:Ayuthaya City
さて、前回の続きということで今回は二日目の午前の様子です。まず朝一番でMr.Nuiに案内されたのが、Wat Phananchoengという寺院です。この寺院はアユタヤが首都となる26年前の1324年に建てられそうで、そのアユタヤ朝ができる以前から河川交通至便なこの地にいた中国人によって信仰されていたとのことです。幾度となく繰り返されたビルマ軍の破壊から奇跡的に残った寺院でもあり、縁起がよい寺として、今も多くの人々の厚い信仰を集めているそうです。本尊である高さ19mの黄金仏の座像を安置している中国風の装飾で飾られた堂内に、タイ様式の寺院とは違った不思議な印象を受けました。インターネットの検索よると、地元の人は「ルアンポートー」、中国系の人は「サムポーコン」(三宝公)と呼び、三宝公とは15世紀前半に南海大遠征を行った明の将軍・鄭和(ていわ)のことで、東南アジアの華人たちは彼を自分たちの祖先と考え、神格化して、そう呼んでいるそうです。大仏は、ビルマ軍によるアユタヤ陥落の時に目から涙を流し、お腹まで達したと言い伝えられているそうです。1901年に火事で寺院も大仏も被害を受けましたが、その後修築され現在に至っているとありました。次回は、この後にむかったWat Yai Chaimonkonのレポートをお送りします。
Wat Phananchoeng
さて、前回の続きということで今回は二日目の午前の様子です。まず朝一番でMr.Nuiに案内されたのが、Wat Phananchoengという寺院です。この寺院はアユタヤが首都となる26年前の1324年に建てられそうで、そのアユタヤ朝ができる以前から河川交通至便なこの地にいた中国人によって信仰されていたとのことです。幾度となく繰り返されたビルマ軍の破壊から奇跡的に残った寺院でもあり、縁起がよい寺として、今も多くの人々の厚い信仰を集めているそうです。本尊である高さ19mの黄金仏の座像を安置している中国風の装飾で飾られた堂内に、タイ様式の寺院とは違った不思議な印象を受けました。インターネットの検索よると、地元の人は「ルアンポートー」、中国系の人は「サムポーコン」(三宝公)と呼び、三宝公とは15世紀前半に南海大遠征を行った明の将軍・鄭和(ていわ)のことで、東南アジアの華人たちは彼を自分たちの祖先と考え、神格化して、そう呼んでいるそうです。大仏は、ビルマ軍によるアユタヤ陥落の時に目から涙を流し、お腹まで達したと言い伝えられているそうです。1901年に火事で寺院も大仏も被害を受けましたが、その後修築され現在に至っているとありました。次回は、この後にむかったWat Yai Chaimonkonのレポートをお送りします。
Wat Phananchoeng
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