Sunday, May 25, 2014

Edo-Tokyo Open-air Architectural Museum part.1

ビジターセンター(旧光華殿)(きゅうこうかでん)
1940年(昭和15)に皇居前広場で行われた紀元2600年記念式典のために仮設された式殿です。
1941年(昭和16)に小金井大緑地(現在の小金井公園)に移築されました。 江戸東京たてもの園の開園にあたり、ビジターセンターとして改修しました。
[千代田区千代田/1940年(昭和15)]
 
 

 


 




 
旧自証院霊屋(きゅうじしょういんおたまや)
尾張藩主徳川光友の正室千代姫が、その母お振の方(三代将軍徳川家光の側室)を供養するために建立(こんりゅう)した霊屋です。
この建物は東京都の文化財指定を受けています。
[新宿区市ヶ谷富久町/1652年(慶安5)]
 

 
 
 
高橋是清邸(たかはしこれきよてい)
明治から昭和のはじめにかけて日本の政治を担った高橋是清の住まいの主屋部分です。
総栂普請(そうつがぶしん)で、洋間の床は寄木張りになっています。2階は是清の書斎や寝室として使われ、1936年(昭和11)の2・26事件の現場になりました。
[港区赤坂七丁目/1902年(明治35)]
 

 



 
 


 
 

 

 
西川家別邸(にしかわけべってい)
北多摩屈指の製糸会社を設立した実業家西川伊左衛門が隠居所及び接客用に建てたものです。
多摩地域の養蚕・製糸業が最盛期をむかえた時期(大正期から昭和初期)に建てられ、 よく吟味された部材が使われています。
[昭島市中神町二丁目/1922年(大正11)]
 
 

 






 
 
伊達家の門(だてけのもん)[旧武蔵野郷土館収集]
旧宇和島藩伊達家が大正時代に東京に建てた屋敷の表門です。〈起り屋根(むくりやね)〉の片番所を付けるなど、大名屋敷の門を再現したような形をしています。総欅(けやき)造りで、門柱の上に架けられた冠木(かぶき)には、宇和島藩伊達家の木彫りの家紋が施されています。
[港区白金二丁目/大正期]
 



 
会水庵(かいすいあん)
宗偏(そうへん)流の茶人、山岸宗住(会水)が立てた茶室です。
1957年(昭和32年)、劇作家の宇野信夫が買い取り、西荻窪に移築しました。 本畳三枚と台目畳一枚からなる三畳台目の小間の茶室です。
[杉並区西萩北五丁目/大正期頃]
 
 


 

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